横浜大名焼酎日記

横浜と大名で呑んだくれている酔っ払いの備忘録

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冷し中華@我が家風

雨は降ったり止んだり。
洗濯を3回もしたが、結局部屋干し。冴えんなあ。

歩こうと思うと雨が降る。冴えんなあ。
結局、何処へも出掛けず、万歩計は0歩。情けないなあ。



それでも、腹は減る。
昼は、冷し中華を作った。

半熟の黄身をぐちゃぐちゃして食べると旨いのだ。
僕は君だけが好きなんだ・・・・・・

冷し中華21

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カレー@我が家風

朝は6,000歩。

マラソンの佐藤敦之君は残念だった。
昨年末の福岡国際は良い走りだったから、ちょっと期待してたんだけど。
彼は大学1年の時から応援してるが、瀬古2世というか、求道者的というか、まじめと言うか。
今日も76位?、最下位?、完走ですか?
彼らしい、と言えば彼らしい・・・・・・



今日は久しぶりにカレーを作ってみた。

ルーは、タイ風レッドカレー
このルーは、中華街の南門シルクロードにある「萬福臨」で売っている。
以前は1袋120円くらいだったが、今は値上がりして150円くらいかな?(125円でした)
お決まりでレッド、イエロー、グリーンと3種類あるが、断然レッドがお気に入り。
1袋で4人前くらい作れるから、まあ安いんじゃなかろうか。

・ルーに、このタイ風レッドカレーを使うこと
・具に、必ず大根を入れること
・隠し味に、味の素の「固形コンソメ」を2個入れること

最近の我が家風カレーのポイントは、この3つ。
これを守れば、毎回美味しいカレー(自分で思ってるだけ)が簡単に出来る。
今日の具は、大根、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ
肉は手羽元を使った。ちょっと漬け込んで、焼き目を付けてから、じゃぼん。

仕上げにココナッツミルク。付け合せはアスパラサラダ。ああ幸せ。

レッドカレー11 レッドカレー12 レッドカレー13

萬福臨(WanFuLin)
住所:横浜市中区山下町123-8
TEL:045−681-3335
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北京オリンピック雑感

昨夜は「大新園」でちょい飲み。つけ、揚げ、焼きと、ここのワンタンは全くもって旨い!

大新園31 大新園32 大新園33



朝は7,000歩。
横浜に戻ってからちょっと涼し過ぎ。最低気温20度とか言ってるし、福岡とは大違いだ。
だもんで汗はほとんどかかず。汗を出して体重を落とす目的もあるので困ったものです。



昼食を食べながら、星野ジャパンの3位決定戦を観ていたが、悲壮感漂っちゃって、つらいね。
サッカー決勝(ナイジェリアvsアルゼンチン)にチャンネルを変えてしまった。

水泳と陸上の400mリレーの銅メダルは素晴らしかったが、柔道、サッカー、野球(ソフト)と、女子の活躍に比べて男子はどうもいけませんな。
頑張れ!ニッポン男子!(今ごろ遅いか)

しかし、柔道4、北島2、女子レスリング2、ソフト1と種目が偏ってはいるが、金9個は立派なもんじゃないかと思うし、フェンシングの太田君や、バタフライの松田君なんかも良かった。
松田君の「これが自分色のメダルです」ってのは名言だね。

まあ、野球みたいに悲壮感一杯ではなく、皆さん「ああ楽しかった」と帰国してきて欲しい。


それにつけても、中国って国は本当に「何でもアリ」ですな。
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元祖オグシオ

「オグシオ」がすごい人気のようだ。
「スエマエ」も大活躍。惜しくもメダルには手が届かなかったが、大健闘だと思う。

バドミントンの認知度も上がってきたらしい。

ミントンは、「正月などに近所の路上でする羽根突き遊び」
ミントンは、「体育館で真剣に行うハード競技」
「ト」と「ド」の違いは大きいのだ。

「バミントン」じゃなく、「バミントン」と正しく認知してくれる人が増えたらいいなと、多くのバドミントンプレイヤーが願っていることでしょう。

ところで、元祖オグシオと言うのも変だが、30年以上前にも「美女ペア」が大活躍していた。
「アイタケ」とは呼ばれなかったと思うが、「相沢マチ子、竹中悦子組」である。

相沢マチ子

写真は昭和51年の某大会のパンフレットだが、相沢マチ子さん、今見てもイケテルと思います。
ちなみに竹中悦子さんは、電電東京の栂野尾昌一選手に捕まって、日本中の「アイタケ」ファンをがっかりさせたのだった。

「オグシオ」とは違って、「アイタケ」はれっきとした世界チャンピオン。
当時の世界選手権に相当していた「全英選手権」の女子ダブルスに、昭和47、48、50年の3回優勝。国内でも「全日本選手権」に5回優勝している。

あの頃はインターネットもなかったし、テレビ中継もほとんどなし。新聞に結果が出るだけの寂しい時代だったが、1960年代から70年代にかけては、日本の女子は相当に強かったのだ。
国別対抗の女子団体戦「ユーバー杯」でも5回勝っているしね。

ブラッキー

写真は当時流行っていたヨネックスのラケット「ブラッキー」の広告。5,500円だったんだ。
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原辰と東海大相模

夏の甲子園が始まった。

最近は「神奈川代表頑張れ」くらいで、それほど熱心に観てはいないが、思い出すと結構真剣に応援していた時期もあった。
自分が一番気合を入れて応援したのは、何と言っても原辰の時の東海大相模。
今でも、結構覚えているシーンもあったりして。

便利なもので、朝日新聞のサイトを見ると、当時の記録が全部掲載されている。

【昭和49年夏】
2回戦: 土浦日大 2-3x 東海大相模 (延長16回)
3回戦: 盈進 6-13x 東海大相模
準々: 鹿児島実 5-4 東海大相模 (延長15回)

「爆発的な打が看板」と週刊朝日に特集されていた、原辰1年の東海大相模。
ベスト8まで勝ち進んだ。
2回戦では、関東三羽ガラスの一人工藤の土浦日大を延長16回の末撃破。
リリーフで登場した村中のデビュー戦でもあった。
村中は球は速くなかったが、大きく割れるカーブで三振を取りまくり、出したランナーは牽制球で刺しまくりだった。
3回戦は、80キロくらいの超スローボールを投げる盈進の山口を打ち込んで圧勝。
準々決勝で定岡の鹿実と対戦したが、延長15回で惜敗した。
9回に追いついて、14回に又追いついたが、15回に力尽きた。
敵ながら、定岡はカッコ良かったねえ。

【昭和50年春】
2回戦: 倉敷工 0-1x 東海大相模
準々: 豊見城 1-2x 東海大相模
準決: 東海大相模 6-2 堀越
決勝: 高知 10-5 東海大相模 (延長13回)

翌春の選抜では、2回戦で村中が倉敷工を完封。
準々決勝では好投手赤嶺の豊見城に競り勝ち、準決勝は堀越に打ち勝って決勝へ進んだ。
絶対優勝だと信じていたが、決勝は杉村のいた高知に延長13回に一挙5点を取られて苦杯。
まったく残念でした。今思い出しても悔しいねえ。

【昭和50年夏】
2回戦: 松商学園 3-5x 東海大相模
3回戦: 東海大相模 7-3 三重
準々: 上尾 5-4 東海大相模

原辰2年の夏は、春の準優勝もあって優勝候補に挙げられていたが、準々決勝で上尾のにしてやられた。
もいいピッチャーだったけど、上尾の野本監督と東海大相模の原監督の名将対決に敗れたということでしょうか。

【昭和51年夏】
1回戦:釧路江南 0-5x 東海大相模
2回戦:小山 1-0 東海大相模

原辰3年、最後の夏は今ひとつでしたね。2回戦で小山の黒田に完封負け。
虚しさ漂う、やるせない終わり方だった。

当時の東海大相模は、原辰だけでなく、津末、村中、朝倉、森らいい選手が一杯いた。
彼らが卒業した翌年を最後に、東海大相模はもう30年以上夏の甲子園に出場していないそうだ。
春は平成4年に準優勝、平成12年には優勝しているのに、何とも不思議なことだ。

それにしても、懐かしい・・・